さよならを言うべきは。
こんばんは。すぴかです。
初めましての人がいたらアレなのでしっかりと説明しておきます。
自分は双極性障害1型、平たく言うと躁鬱の診断を受けていて、今は恐らく躁なんだろう、と言ったところです。
そんな人間が少し真面目な話を描きます。少し暗い話なのはもちろん、自分の鬱の根源になる話でもあるな、と思っているので、「元気もないし、今は悪い影響を受けちゃいそう!」と思う人はこの記事を元気な時に見るようにして欲しいです。
「何となく困っていて、同じような人の話を聞きたいなあ」とか、「躁鬱の人って、どういう人なんだろう?」って思ってくれる人は、もう少しだけ僕の長い話を聞いて行ってください。
頭だけはものすごくクリアなもんで、今回はしっかり目次なんか作っちゃいます。
エネルギーは無いけど興味はあるな、って人は、興味あるトピックだけでも見てみてね。
見てくれてありがとうね。
この記事を書く経緯の話
この辺から話をしていこうかなあと思います。
僕は結構「理由を知りたい」と思うタイプで、躁鬱なら躁鬱で、自分がなんでそうなってしまったのかくらいは知っておきたいよ、って思うタイプです。
しっかりと、自分の納得のいく形で。
というのも、僕が今医療を学んでいるから余計そう思う所もあるかもしれないのですが、こと心の病気に関して「君の躁鬱は〇〇のせいが100%!」なんてことはなかなかないんじゃないの?と思うわけです。
メンタルの病気は色々なことが複合的に絡み合って起きています。
僕がどういう性格で、どういうことをストレスに感じて、僕を取り巻く環境がどうで…
そういった事を自分自身としっかり向き合って考えないと、これが要因だ!ってことはちゃんと分かんないんじゃないか?となんとなーく考えてます。
その上で、治せるとこがあれば治したいってのもあります。自分が原因の場合限定でね。
なので、精神科の主治医の方とかカウンセラーの方なんかに、元気な時限定で僕はたまーに相談を聞いてもらっています。
相手の方から「君、それはこうだよ」「こうしろよ」なんて言われることはもちろん無いのですが、僕の言ったことを「こういう事かな?」「ああいう事かな?」と聞き返してくれることや、「こうだったんだね」と共感してくれる事で、僕の思考を整理しつつ根本的な要因を探る大きなきっかけになっています。
本当にありがたい話です。
今日はそういった相談や自問自答を繰り返す中で、少しだけ見えてきた根源的な原因の話をしていきます。
きっかけと、子供時代。
こんなことを言って起きながらあらかじめ言っておくと
結局そんなこと無かったわ!!
って可能性もゼロではないです。
そのくらい自分で自分の事が分かってない。
ただ、何をどう振り返っても僕の根源にどうしてもあるのは「親に愛されていた」という実感で、大学入学と共にそれが崩れた事で、じわじわとメンタルのバランスがおかしくなったんじゃないかなあと思っていました。
でも多分本当はちょっと違って、もっともっと前の段階で、僕は、僕たちは間違っていたのかもしれないと思ってしまった形です。
ゆっくりお話していきます。
愛の基準と、鬱の根源
前にも言いましたが、僕は親から愛されていました。これは揺るぎのない事実で、僕の自己肯定感を築いてくれるきっかけにもなったと思えることです。
ただ、多分愛されていたのは「僕」ではなく、僕の出す「結果」です。その副産物的に僕は愛してもらっていました。
僕はこれを心のどこかで気づいていながら、何とか否定したかったんだと思います。
否定しないと、高校生で既に将来の夢が無くなった自分が、まるで人間のクズであるように感じられてしまったから。
部活に、遊びに。色んなことに手を出しては将来のことに何も興味がなくなり、部活を引退してからは燃え尽きたように何もしなくなった自分に、毎日のように小言を言う親の姿を、かなり強く覚えています。
この頃からでしょうか。
「何になっても良いんだ」「お前は素晴らしい」と言うような親の言葉は口先の物で、結局最低レベルがあるようなものなのだ、と思うようになったのは。
僕の親は多分フリーターやニートになった僕のことは好きじゃない。失敗作だと罵倒を浴びせ、一人で生きていけと家から追い出すでしょう。
もちろん、社会というのはそういうもので、結果だけを重視し、過程なんかほぼ観ていない。社会はそうあるべきで、そういうものです。
でも、家族はそうであって欲しくなかった。
「どんな貴方でもいいんだよ」「産まれてきてくれてありがとう」という言葉は、心からのものであって欲しかった。
このあたりから、親の言う「お前を愛してる」という言葉は、僕が今まで見せてきた成績という優秀さに担保されたものであり、僕自身ではなく僕の将来に向けられたものなのではないか、という怖さと常に戦っていた気がします。
そんな中、親の機嫌を取るように、かつて自分がとっていたような偏差値の大学をパラパラと探し「医学部に行きたいんだ、でも時間が足りない、浪人させてくれ」と言ったその日から、ずっとずっと逃げてきました。
全て嘘な訳では無いです。
その後実際に成績が上がったことと、医者という職業に対し尊敬の気持ちが芽生え、医療人としてのモチベーションが上がっていたことも事実としてあります。
ただ、自分の根源にあるのは「また愛されたい」「医者になれば、また天才が産まれたと俺を好きになってくれるかな」という気持ちと、「うちの親は俺の成績なんかに関わらず俺を好きなんだ」「これは俺の意思だ、俺は医者になりたい」という矛盾した気持ち。
この辺から僕はおかしくなっていきました。
結局受験には落ち、今の大学に落ち着いた時も「俺はA判定が出てたんだ」「医者になれなかっただけだ」「俺はこれから何にでもなれる」
「自分には価値があるんだ」というような内容を、とにかく様々な方向から喚き散らしていたと思います。
そうでもしないと、受験に失敗した自分の生きる価値が無くなってしまうように感じられたから。
本当は「そんな事どうでも良いんだよ」「あなたが頑張った事に価値があるんだよ」「貴方が大好きだよ」と言って欲しかった。嘘でもいいから。一言だけでも言って欲しかった。
馬鹿は馬鹿なりに頑張ったんだよ。
偏差値が40くらいから、65〜70くらいにはなったんだよ。
それに価値があるって、本当は言って欲しかった。
でもそうじゃなかった。うちの親がみていたのは、どこまでも俺の出す「結果」だった。
昔の俺が愛されていたことは紛れもない事実だったけれど、それは結果が伴っていたから。
親の中では所詮今の俺は失敗作で、「医者になれなかった奴」なのだ。結果が伴わない人間を愛する理由もない。
少し前、最近になって、なんだか親が優しくなってきたという話をした気がする。仲直りのきっかけかもしれない!と喜んだアレである。
それも結局、「そこそこ稼げる職業に着く見通しのついたやつ」としての評価なんだろう。
そういうある程度の価値に対する評価で、俺のことが好きな訳では無い。
例えば今俺が全てを放り投げ「ラジオパーソナリティになりたい」とか「フリーターで生きていくからもう関わらないでくれ」とか、そんな事を言ったらあの人達はどんなに俺を罵倒するだろうか。
そんな人達が「俺」を好きなわけがない。あの人達が好きなのは昔俺がまぐれで見せた仮初の才能で、俺の事ではなかった。
実際、俺の躁鬱はもう無かったことのようになっている。精神病などになる弱い人間を、自分の子供だと評価していないのだろう。
本当は能力があって、甘えで適当な病気を出して誤魔化しているとすら思っているのかもしれない。
きっとこれは一生埋まらない溝だ。
これをずっと、認めたくなかった。
何も成してない俺は、全く親に愛されていない。
ただそれだけの事から、何年も目を逸らしてしまった。
親は無償の愛をくれるものだと、何年も何年も馬鹿みたいに信じては、構ってもらいたい子供のように、ヘラヘラと失敗を繰り返して見せた。
そういったことの全てが、俺をこんな病気にしてしまった。
ヘラヘラと虚勢を張って自らを大きく見せる自分と、ただ一言「大好きだよ」と言って欲しい子供みたいな自分と。もう何が本当の自分なのかも分からない。
30年も生きてきて、もう自分の本音が全く分からない。
被害者かのように自分を見せる文を書いているが、悪いのは俺だ。俺は詐欺師みたいなものだ。
俺の躁鬱の原因は、結局のところ俺自身だ。
小学生や中学生の時にみせたまぐれの結果が、親に俺を天才だと思わせてしまった。
すぐ化けの皮が剥がれた元天才は、自分を大きく見せることだけを考えてハリボテの人生をずっと送ってきた。
そんなハリボテの中で、ふと気づいてしまった。このハリボテを使って親を上手く黙せても、もう俺の欲しかった大きさの愛は手に入らない。
俺は所詮失敗した人間で、もう親の想像もつかない大天才ではないんだ。恥なんだ。
せめてどこかでそれを認めて、親への依存から脱却しなければいけない。
さよならを言うべきなのは、親へ依存する気持ちと、愛情への執着だ。
いい加減に自分の人生を歩まなければいけない。
でも、そんなこともできない。
これはきっと呪いで、俺はずっと昔言ってもらった「お前を愛してる」「産まれてきてくれてありがとう」の言葉に縋って生きていく。
やりたい事も何も見つけられずに。
もう一度愛してると言って欲しいと思いながら。
俺は死ぬことも出来ない。
死ぬ事すら怖い。
何もやりたいと思わない。
愛されたいだけのただの子供が、なんの成長もせずこんなことにまでなってしまった。
こんなにも落ち込んでいるし、こんなにも悲しいのに、頭は不思議なほどクリアだ。
これで鬱じゃないなんてことがあるのだろうか。
本当は、躁鬱なんかでもないのかもしれない。
本当に苦しんでる人を盾にして、なんでもないやつが病気のフリをしてるのかもしれない。
俺の人生は嘘だらけだ。
せめて誰かが、考えられ得る限り最も残酷な方法で、考えられ得る限り最も身勝手な理由で、俺を殺してくれたらいいと思う。
そうして誰かに泣いて貰えたら、誰かに怒って貰えたら、それでも少しだけ幸せだと思ってしまう。
嘘だらけの人間だから、嘘でも愛して欲しい。
誰かに、どんなお前でも好きだともう一度言って欲しい。
でも、俺は我儘だから、その嘘は俺にだけはバレないで欲しい。俺が死んだら、俺の悪口はいくらでも言っていいから。
我儘をネットの海に吐き出して、明日も俺は生きるしかない。俺はどうしようもない弱虫で、嘘つきのダメ人間だ。
前に進むことが出来ない。
どうしようもなく、寂しい。
1人に、しないで欲しい。
頭だけは、どうしようもなくクリアだ。
怒りの定位と遅効性の毒
すぴかでございます。
少しだけお久しぶりです。
睡眠時間が12時間超えから、5〜6時間に落ち着いてきました。まーこんなもんで過ごせると多分いちばん良いんでしょうが、これより減ったりなんか色々出てくるとそれはそれでまずいだろーなあ、と思ったりしてる今日この頃です。
さてさて今日はですね、ちょっぴり元気になってきたんで鬱状態の時の反省でもしましょうかねって感じでこの記事を書いております。
反省って言うとなんか悪いことしたみたいで良くないですね。振り返りですね。
振り返っていきましょう。
怒りの定位
鬱の時はここがボケますね〜
なんというか、これだと不必要な人が傷ついて、本当に必要な人には届かなくね?みたいな怒り方をしちゃうのが鬱のときだったりしますね僕は。
僕の場合基本的に身近な人間に対する怒りとか不満はかなり遅れてやってくるもんなんで、リアルタイムで怒ってる事というのはまーあんまりなかったりします。鬱の時なんか特にね。
ただ、いつもと違って「あ〜これはこの人に言ってる訳じゃないからこういう言い方しなきゃ」みたいな事考える脳の部分があんま上手く動いてないんでしょうね。ムカついたやつを1人攻撃しようとしたら数十人を巻き込んでることがままあります。あまり良くない。仕方ないけどね。
こないだの記事なんかその最たるもんで、僕は基本4〜5年前のことに怒ってたりします。鬱の時僕は昔のこと思い出すんですよね。あの時ああなってたらまだ少し良かったのかもしれないのに。みたいな怒りが来るというかなんというか。
まあこの辺は難しいもんなんですが、とりあえず鬱の時に書いた記事で特定の誰かにリアルタイムで怒ってることは少ないよ〜ってお話ですね。
こんなこと言いながらその辺のよく知らない人間には常にイライラしてたりするのが鬱の時だったりするんで、まあこの辺は関係性によってだな…
最近仲良くなった人がなんかの間違いでここたどり着いちゃったりして傷つけるのいやだからね。これは書いとかないとね。
あまり突っ込んで自分の話をしてないんで、本当は知らないどこかの誰かを傷つけちゃっても嫌だし。
悪口や怒りはしっかり伝えるべきやつにだけ伝えなきゃいけないよねえというお話でございました。
ちなみに今はなんか元気なので誰にも怒ってないです。
遅効性の毒
さて、鬱の時のあれこれの続きでございます。
僕の場合、鬱っぽい時に「あの時のあれ嫌だったなあ…」がどんどん出てきて、「でも今更こんなこと思って何になるんだろ…」という負のループに陥ってしまう事があります。結構あります。
こういうものを僕はタイトル通り「遅効性の毒」と呼んでいるのですが、これの悲しいとこは解決がめちゃくちゃ難しいことなんですよね。
要は鬱の人に「頑張れ!!」は悪化に繋がって良くない場合が多いよ〜みたいなアレなんですが、相手ありきの話しすぎて、毒を摂取しないようにしようとするのもなかなかなあ…と思ってしまうところがあります。
なんせ防ぐには相手に1回病気の話をしないといけない。そうしたらその人がたまたま躁鬱に理解があって、「ああ、こういう言い方はせずにこう伝えるべきなんだな」と思ってもらわないといけない。
もうこっちは1回病気の話をしないといけない時点で憂鬱なわけです。
その辺のリスク取るくらいなら「まあこれ後でダメージ受けるんだろな…」くらいに思ってなるべくヘラヘラ生きて予防するくらいでいいのかなあって思ったりするわけです。(真面目に取り合いすぎると躁の時にびっくりするほどブチギレちゃうことが分かったんでヘラヘラが正解は多分ガチ)
難しい話ですよね。
仲のいい人みんなに病気の話して「こうしてね〜」なんて言いたくないけど、かと言ってなんかダメージになるもんはなるし。
あと人の話ヘラヘラ流すのもなんかそれはそれで嫌なんですよね。真面目に聞けたら聞きたいよねみたいな。
ありがたいことに病気のこと知って分かってくれる人たちもいるんですが、まあ人間ほんとに分からんもんってのもあるしなあと思ったりするんでなかなか誰にも彼にもは言えないですね。
言ってダメパターンが1番ダメージ受けちゃうし。
あと、なんか日常で躁だの鬱だの言いたくなくねーなあっていうのもありますね。文章でギリ。
それこそ病気のこと知ってんだから親くらいは分かってくれりゃいいんだけどな〜とは思ったりする今日この頃でございます。
むずかしい!!!
元気な今の僕は、元気の無い僕のために何かしてあげられたりしないもんですかね。
ってことで今日はこのへんで。
それではまた。
鬱々としつつ、最近。
本当にお久しぶりです。すぴかでございます。
何ともブログを書く気力が出てくれなくて、ずっと放置してしまっていました。
ここ最近はなんというか、食欲がなくなってきたり、ベッドから起き上がれなかったり、元気があるとはとても言えないなあ…という生活をしています。
何もしなさすぎると自己嫌悪のループに陥ってしまうので、今日は自分のことについてあれこれ考えてみる時間にしようと思います。
こういう考えが良いよ!も書くんですが、結局最終的には僕の中の子供が泣きわめきながら出してるSOSはこんなんだよ、って話もすると思うんで、皆は元気な時に読んでね。マイナスの気持ちが移っちゃうと申し訳ないので。
あとこういう時の文章は結構支離滅裂です。普段はなるべく色々気にするんですが…申し訳ない。
さてさて、色んな事故を防ぐためにもう目次的なもんもつけないでダラダラ文書きます今日は。
「当たり前」は、意外と頑張ってる。
まずはこの辺からですかね。
前にもしかしたら言ったかもしれない話なんですが、僕は結構たくさんの矛盾を抱えた人間です。自分は自分、他人は他人だと思っているのに、あまりにも常識の基準が自分にあるせいでふとした事で他人にイライラしてしまう。
これはなんなんだろうなあ、良くないよなあ、治すのは無理かなあとあれこれ悩んでいたのですが、先日「貴方が人にイライラする事は、日頃貴方が生きていて気をつけていることだ」という話を聞きました。
これは僕の中で結構大きくて、とても良い考え方だなあ、と思えたものでした。
じゃあ僕は「どんなことにイライラするのか」っていうのをゆっくり考えてみようかなあと思うきっかけになりました。
さてそこで色々考えた結果、僕は「人に気を使えないやつ」を見ている時に1番腹が立ちます。
なんだか大層なことを言ってるようなアレですが、気を使って生きるなんて言葉使っていいのか自分じゃわからんくらい本当に大したことじゃない話です。
例えば、電車に乗って席に座った時、足はしっかり閉じて荷物は自分で抱えるくらいのもんです。
もっと小さなことでいえば、くしゃみする時バカでかい音量でくしゃみしない、とか。
僕と同じことが嫌な人は「そんなこと?」って思うと思います。当たり前すぎてめちゃくちゃくだらないでしょ。
でも、実はこういうのが外に出ると当たり前じゃなかったりするわけです。
例に出した電車の中だけで言っても、リュックをガンガンぶつけてくるヤツ、何故か脚を開いてぶつけてくるヤツ、バカみてーな音量のくしゃみとか咳するやつ。たくさんいるわけです。
しかもこういうヤツは謝らない。
謝らないってことは罪の意識がないわけです。僕はこれが一番理解できない。
別にそりゃあリュックがぶつかったり、身体がぶつかったり、なんかうるせー音出ちゃったりはしますよ。それはもう仕方ない。気をつけてたってそうなることはあるんだから、それは悪いことじゃない。ただその時、「やっちまった…」って思う事と謝ることは出来るはずだろうと。
今までの僕はこういったことに対して「こいつらほんとに同じ人間か?」と思ってイライラしてしまっていました。これが良くない。全然普通に人間なんですよ。
ただ、僕という人間の中でこういう行為の比重が大きいって話なんです。そんで多分こういうことに気をつけてるのはとっても偉い。
周りが悪いんじゃなくて、僕がめちゃくちゃ偉いんだなって話だったわけです。
まあそれでもイラつくはイラつくんですけど、僕にとって大きな発想の転換ではありました。コペルニクス的なね。
知らねー他人にイラつくくらいなら、自分が素晴らしいんだな〜って思ってシャットアウトするくらいがいいんだなって話ですね。
まあまだムカつくはムカつくけどな!!!
気をつけて生きろボケ!!!
とはいえ、イライラしすぎて鬱がさらに悪化していくとか、躁の時の妙な攻撃性に繋がっていくみたいなことまでは無くなりそうです。
こういう「はえ〜そういう考えもあるか」みたいなもんはほんとに大事にしていきたいですね。
何が刺さる刺さらないはほんとめちゃくちゃ人によると思うので(なんなら誰が言ってるかにもよるよね)、同じように少しでも気持ちが軽くなる人がいてくれるとありがたいものです。
全人類ブログやれ
次はこれですかね。
この話は本当にこう、僕の鬱の根幹を多少担ってる話なんでまあ暗いです。元気な時に聞いてね。
これはね、以前も言ったかな〜と思うんですが、世の中20歳とか超えると途端に「アドバイスしたがり」が増えるんですよね。
これもめちゃくちゃ嫌いでクソほどイライラするんですが、前述の話に照らし合わせて考えると「あ、自分は人と話す時、基本的には否定しないようにしてるし、アドバイスくれって言われた時以外にした事ないんだな…」と気が付きました。
これもこれで、僕は色々気をつけて頑張って生きてたりするんですよね。ただ、唯一さっきの話と違うのは「こういう聞いてないアドバイスをしてくる人間と、僕は関わって生きていかなきゃいけない」って話なんです。
これが別によく知らん他人なら良いんです。
さっきの話と同じになるから。
ただ、例えば友人とか、肉親とか。関係は良好だな、仲が良いなと思ってた人にやられるとまあしんどいもんがあります。
こっちは一度も貴方たちを否定していないし、どうしたらいい?って聞かれたから否定的なことを言う時ですらめちゃくちゃ言葉を選ぶのに、君たちはそうでは無いんだね、という悲しさがめちゃくちゃあります。
人間なんて、アドバイス求められた時と本当に自分の大切な誰かに大きな迷惑がかかる時以外は全肯定でいいと思うわけです。
百歩譲って、何かを言うとしてもめちゃくちゃ肯定した後に自分の意見を言ってくれと思うわけです。肯定されすぎると気持ち悪いって思う人もまあいるからね。
それでも
何か上手くいかなかった…
という場面でまず出て来るべきは
「頑張ってるよ」「ここが凄いと思うよ」とかそういう言葉であるべきだろって話なんです。
第一声「まあ君の努力がこういう風に足りなくて、それを変えるには〜」ってのはやっぱり変だと思うんです。
これ、お前と同じ反省を相手がしていないと思ってんのか?って僕は思います。
反省する力だって、改善する力だって本人にあるわけです。わざわざそのモチベーションを削るようなことして、アドバイスだなんだって烏滸がましいにも程があるってもんじゃないですか?
あとそもそも、本人以上に本人のこと知ってる可能性なんて低いのに、背景も知らず「俺はこうだったからこいつもこうなはずだ!」ってどういう人生を生きた結果そんな自信満々に思えるの?とも思います。何もかも分からん。
ただそう思う反面、こういう人との間にはそれなりの思い出があることが多く、色んな意味で僕はダメージを受けてしまいます。
親なんか特にそうですね。あんたらが人を否定しないように色んなものの伝え方が出来るよう育ててくれたんじゃねーんかいって話で。
僕が出来るんだから、親は絶対僕が傷つかなかったりしんどくない伝え方ができるはずで、そうしないのはもう意図的に傷をつけにきてんのと同じなわけじゃないですか。
これはほんとに、他人だから〜で割り切るのは全然無理そうなんで、なんか言いてーやつは全人類ブログを開設してそこで人生観やらなんやら語って欲しいもんです。
ブログはすごくいいですよ。求めてる人はそういうのを自分で探すんだから。
まあ、少なくとも僕はアドバイス欲しかったらアドバイスくれって言うかな…。世知辛いもんです。
最終的に
結局ここに帰ってはくるんですが、「そんなことウジウジ気にしてる自分が1番悪いよね」って思っちゃいますね。
お前これ完全に他責思考と自己中心的な持論じゃねーの?って言われたらなんかそうな気もします。
結局どっかの誰かの名言が響いて頑張れるような人の方が世の中幸せなわけで。世の中の半分以上はそうだし。
となると僕みたいなのはやっぱり生きづらいよなあ、と思ってしまうところがあります。
でも、全部ぶん投げて死のうかなとか、今やってる事何もかもやめてどっか逃げよーかなとか、そこまで追い詰められてるわけでもない。あと別にそういう勇気もない。
めちゃくちゃ中途半端なんですよね。今。
そこそこに身体を引きずりながらそこそこに頑張ることくらいならできて、多分そこそこにダメージ食らってる。
お医者さんには悪いんですが、なんかほんと、半端に元気になっちまったな…と思わなくもないです。感謝してるんですけどね。色々話も聞いてもらってるし。
でもなんか、こういう状況でいると「もっと辛い人がいるのに何だ…?」と思ってしまう自分もいたり、それでも誰かに褒めて欲しい自分もいたり。
自分の中に何人か自分がいるみたいな、不思議な感覚が最近続いてる感じがしますね。
元気な自分もいたらいいのに。
明日は、いや、来週は少し元気になることを祈って、今日はこの辺で。
それではまた。
生存報告と僕のダイエット 〜厄年編〜
すぴかでございます。
本当にお久しぶりです。
というのもですね、本当に色々ありまして…
『お前この期間何してたの?』
っていう話とともに紹介していきます。
まずは何してたの?
これですよね。
まあほんとにリアルの方がめでたいイベントから大変なことまで色々ありまして、そうこうしているうちにブログがなかなか更新出来ず「なんか今更どうしよう…」ってなってましたね。
インフルで一週間とか休んだあと学校行くの気まずい、の酷いバージョンです。
すいませんほんと…
じわじわ更新していきます。
ダイエットは?
これ本当に結果だけ言うと
『ダイエットとしてはめちゃくちゃ成功しました。』
ただ、ちょい困った話なのが、ダイエットとしてどうこう、というよりは病気で痩せた側面が強いですね。
というのも僕、1ヶ月くらい前に謎のアレルギーと胃腸炎を併発しまして、その結果ほぼ何も食べられない日が1週間強続きました。
水すら吐く日も2〜3日あって、ほんとに死ぬのか?と焦ったレベルでしたね。
そりゃあ痩せるんですよ。

最終的にはこんなもんまで体重は落ちましたが、こんなんは痩せたんじゃないです。やつれました。ガチでダメなタイプの減り方。
筋肉と水分が減っただけですね。
実際この後ご飯食べられるようになって64〜65キロ位におちついたし。
ってなわけであまり人様に紹介できるようなお話じゃなくなってしまいました、って感じでございますね。かなしい。
あと、その後痩せたからいいや!!って思ってバカ飲みしてたらそこから1ヶ月ほどなのにリバウンド気味です。
マヌケすぎる。あと増やすの簡単すぎないか?
なんかほんとアレなんですけど、近々どうせまたダイエットしてると思います…
嗚呼、悲しきかな我が怠惰…
最近どうしてんの?
まずはね、大学もスタートして心機一転頑張っております。
なかなか上々というか、鬱が酷くなることも躁に苦しめられることもなくやれております。
とはいえ、なんか厄年か?と思うほど色んなことがあり、ちょっと色々忙しかった形だったりします。書き出しておくと
・左奥の銀歯、割れる
・庇って噛んでたら右奥の歯も砕ける
・謎のアレルギー発症
・スマートウォッチがジムで盗まれる(外した自分もまあ悪い)
・何故か今年は黄砂のせいで喘息が酷い
・視力が悪化の一途を辿る。ついに左目は1番上も見えず。
・リバウンド気味
等々でございまして…
まあ病院に結構行ってたわけでございます。
なんなら今もちょくちょく行ってます。
メンタルが良くなったと思ったら今度はフィジカルか…てなもんでなんとも上手くはいかないですが、とりあえず今年度も、何とかごまかしごまかし生きてくぞ〜という気持ちです。
心配してくださっていた方や、記事を待ってくださっていた方がいたらすみませんでした。
これからまた細々と投稿して行こうと思っています。
心配してくださっていた方や、記事を待ってくださっていた方が誰もいなくても、気を強く持って引き続き投稿していく所存でございます。
それではまた。
ヴァンサバという名の猛毒
おはようございます。
すぴかです。
進捗Part4はどうしたんじゃいって話ですよね。そうなんです。
いやまあダイエット自体はやってるんですが…
じゃあ最近なんでこんなにも更新が滞っていたかというとですね、ついに僕は見つけてしまったからです。
人生を溶かす毒を。
それが
Vampire Survivors
今もうヴァンサバライクゲーたくさん出てるし、めっちゃ今更なんですけどね。
ただまあハマっちまいました。
リンクも貼っておきます。
ちなみにこれはsteamだけど、なんかスマホとswitch版もそれぞれあるらしいです。
これはもうねえ、すごいですよ。
何がすごいのって話を、全部語ると文庫本サイズになりそうなので3つに分けて紹介します。
コスパが神
まず何といっても安い!!!
2025年2月18日までなら374円だし、元の価格で買っても499円!
学生でも簡単に遊べちゃいます。
しかも後述するゲーム性のおかげで、安いのに何百時間も遊べちゃう上コスパゲーになっています。
なんか暇つぶししたいけど金ないしなあ…
なんてあなた、買ってみたらどうですか?
ゲーム性が神
このゲーム、めっちゃ簡単に言うと
敵が上下左右から襲ってくるから、出来るだけ長い時間死なずに耐えてね。
って感じの2Dゲームです。
このハチャメチャにシンプルなゲーム性がまた良い!
たくさんある武器を強化して自分好みのビルドをつくって、迫りくる敵の猛攻に耐えるこの爽快感はぜひ体験してほしいです。
最初「こんなしょぼい攻撃しかできないの?」っておもった武器が強くなるのはいいぞ~。
あと、操作性がシンプルなのもすごく良い。基本は移動のみです。
wasdキーとマウスくらいあればほぼすべての操作ができるレベル。
先述の通りドット絵2Dゲームなので、PCスペックもそこまでいりません。
始めるハードルがめちゃ低いってことは大きな魅力じゃないかなあと思っています。ハマった後人にも勧めやすいし。
あと、対人ゲーに疲れた人にめっちゃおすすめなとこあります。
頭全く使わなくていいからね。
僕もえぺとかスト6の休憩にこれやってます。
欠点がほんと、人生が溶けてくことくらいしかないです。
気づくと1週間で100時間以上やってるから注意ですね。
オマージュが神
インディーゲーらしく、結構いろいろなオマージュがあります。
お、もしかしてあれか?なんて考えつつニヤニヤするのが僕は結構好きですね。
1番、というか圧倒的に多いのは悪魔城ドラキュラかな?
なんとDLCでコラボまでしちゃってます。
こういったインディーゲーならではの遊び心も楽しめる激熱作品です。
マジでみんなやろう。楽しいよ。
ってなわけで
最近ドはまりしてるVampire Survivorsの紹介でした。
極限までネタバレしてないつもりなので、ぜひぜひ皆さん買って遊んでみてね~!
皆で人生を溶かそう。
それではまた。
進捗Part3 〜進め、大海へ〜
こんばんは。
すぴかでございます。
完全に思いつきで初めた週一のダイエット報告、こんなにもブログ書く原動力になってくれるんだなってことで過去の自分に感謝してます。
書くことがない日が続くとほんとに放置しちゃって良くないですね。
疲れたから寝ちゃってたよ。なんてブログ書いてもチラシの裏にでも書いとけって話だよなと思ってしまうところがあります。
というかダイエットしてないと仮定したらあまりにも俺の1日何も無さすぎないか??
この辺はブログやらダイエットやらそもそも友達の結婚やらに色々と感謝ですね。
さて、そんなわけで今日も体重計乗ります。
ちなみに少しでも軽い結果が出て欲しいのでまだ夜ご飯食べてないです。これ書き終わったら食べます。
なんか女の子が健康診断前に朝ごはん抜く!とかいうの気持ち分かる気もしますね。
数字とのうまい付き合い方なのかもしれない。
ってことではい!!!
今週の体重!!

なんとまさかの3週連続マイナス。
60キロ代突入してくれよという気持ちはまああるんですが、逆に言うとここからは60キロ台の勝負です。
今大海に漕ぎだしたわけです。
ただここまでうまくいくとプラスになったときは怖いですね。
一気にモチベーションがなくなりそう。
っていうかこのペースだとあと1ヶ月半でマイナス8キロほどっていけるのか…?なんともいろいろ不安なもんですが、引き続き頑張っていきたいですね。
なんだかんだ言っても1キロちょい減っただけなんでアレですが、5キロ減ったとか10キロ減ったとかのタイミングでダイエット方法とかも記事にしたりしたいものです。まあ減ったらね。減ったら。
結構真面目な話、この飽き性がダイエット3週間も続いているというのは偉いもんで、この辺はブログに感謝ですねほんとに。
見られている意識みたいなものがなくもないです。
ただねえ、元気な頃の太った俺が今週は2つ飲み会を入れてるんですよね…
結構突発的に予定はいるのがダメなタイプなのもあって、躁の時にやったことがこうして後々に帰ってきます。そういやそんな話あったな…みたいな。
うーーーん。
まあジム毎日行ってなんとかするか…
飲み会自体は絶対楽しいし。
いいメンバーの飲み×2です。
ただまあ、瘦せる意識は昔から持っててほしかったね…。
俺が今ジムしんどいから…。
It'a true wolrd.
躁鬱の辛いとこね、これ。
ってことでね。
今日はこの辺で失礼します。
そろそろ長い記事も描きたいなあ。
それではまた。
進捗Part2
こんばんは。すぴかでございます。
今日はまたまたダイエットのお話。
本当は予定通り水曜日にやりたかったんですが、実家行ったりなんだかんだと色々あったもんで今週は金曜日にやります。
とりあえず体重の方から。
こちら!!

……こんな減らんもん??
まだ開始から1キロも減ってないんですよね。
脂肪1キロ減らすのに7000kcal消費する必要があるらしいんですが、ここ2週間の運動による消費カロリーだけ見たら、まあ脂肪が0.8~1.0㎏くらい減ってる計算だしまあこんなもんなのか…?
ぶっちゃけ70キロは切ってると思ってたな〜
現実は厳しい。
まあダイエットを決意する前の過去の自分が入れてしまった飲み会やらご飯の約束によって、多少足踏みをしている事は確かなんですが…
もう少し運動増やしてみようかな。
ジムに行く回数が今3なんですが、余裕ある間は4にしようかな…と思ったりします。
増やすのは楽なのに減らすのはこうも難しい。困ったもんです。人間はただでさえ楽な方に流れがちな生き物だし。
まあとはいえ、こういうのは数字にあんまり囚われちゃいけないなとも思っています。筋トレもしてるから、見た目が変われば別に50キロだろうと100キロだろうとね。
長い目で見て素敵な身体に慣れれば良しということで、引き続き頑張っていきたいかなあ。
…こうでも言っておかないと来週の水曜日にはちょっと体重増えたりしてそうでね、怖いもんですからね。
数字と上手く付き合っていかなければいけないなあと思っているものの、人は結局数字に囚われてしまう生き物です。
明日起きたら10キロ減ってないかな〜
今日はこんなところで。
それではまた。