モラトリアムにさよならを

人生色々あるけれど、それでも生きてるよ。そんな人間の日記です。

ブロガーの産まれた日

少しお久しぶりです。すぴかでございます。

 

何が変わるという訳でもないんですが、ヤフオクでめっちゃ安くノートPCを購入したのでブログが描きやすくなりました。

モチベーションのアップにも良いですね。

 

そんなわけで今日は、文章を書くことについての話。長くなるお話です。

 

 

そもそも

僕は小さい頃身体が弱く、外に出て遊ぶことを医者から禁止されていたりしたので、娯楽といえばゲームをするか本を読むかでした。

 

体育の時間も小4〜5くらいまではほぼ参加できず図書館に籠っていたこともあり、一般的な小学生の2〜3倍は本を読んでたんじゃないかな、と思います。

 

そうなると多くの本好きが通る道なんじゃないかな、と思うんですが、自分で文章を書いてみたりしたくなるんですよね。

 

ただ、物語を自分で作る、みたいな方に僕はあまりハマらなかったです。小説家の方々はすごい。

どこかで誰かがやってる様なことをパクって混ぜ合わせた、ダメな闇鍋みたいなものしか出来ないんですよね。

 

読んでる本人が、「これ〇〇で見たな…」って思っちゃうのは流石にあかんだろうと。

 

そんなわけで小説作りとかは続けられなかったんですが、読書感想文なんかを書くことは結構好きでした。

今回は「感動」とか「好き」みたいな言葉を使わないで書いてみようかな?とか色んな方法で楽しんだものです。

 

ここまでだと特に文章書くのちょっと好きな子、で終わってたと思うんですが、良くも悪くも僕が文章を書くことがさらに好きになる事件が小5の時に起こります。

 

怒りと創作

ここを詳しく描きすぎるとちょっとアレなんでぼかすんですが、「学校での出来事を作文にして、優秀な物をコンクールに出そうや」的な授業がありました。

 

ありがたいことに僕のものが選んでもらえたんですが、授業3回分くらいで作ったものなのでまあ単純に未完成だったりします。

 

なので、先生と放課後残ってあれこれ直したりするわけです。

 

これ、基本的に僕主導で直すんだろうなあと思ってたんですが、思ってた10倍くらいは口出されるんですよね。しかも赤ペンで添削とかされて。僕の仕事はほぼ先生の添削写経するだけです。

 

はぁ?って正直思ったんですが、まあ逆らったって良いことないので言われるがまま書いてたことだけ覚えています。もうお前が書けよって何度も思いましたけど。

 

で、これ、地区のなんかの賞取っちゃって文集に乗っちゃったんですよね。まあ子供の大会にほぼ大人が直した文乗っけてるんで当たり前と言えば当たり前なんですが。

 

うちにもその文集が送られてくるわけで、親がウキウキしながらその文を読んだ後、最初に言った一言が「これ…ほんとに書いた…?」でした。

 

ここで死ぬほど泣いたのを覚えてます。

これは自分が書いたものじゃない。添削でこうなった。と言いながら泣く僕に、僕より怒っている親が「分からせてやろう」と言ってくれたことも覚えています。

 

当時自分でもなんで泣いてるのかあんまり分かんなかったんですが、とりあえずめちゃくちゃ悔しかったんですよね。勝手にほぼ違う文章にされて、感動ポルノみたいな文書かされて、それが文集にまで乗って表彰されて。

 

別に誰でもいいじゃんって話ですからね。あんなに直すなら僕の文である必要性がない。

 

逆らえなかった自分にも腹が立ってました。

 

とにかく色々と許せなかった僕ら一家は、「これが手直しのせいで地区止まりだったんだ」ということで自分たちを納得させることにしました。

 

そこからというもの、とりあえず色々な作文を読み漁りました。

 

親も協力してくれて、とにかく色んなコンクールで優秀賞、最優秀賞を取っている作文を読み漁ったんですが、どれもやはり『等身大感』と『面白い視点』があるなあという印象でした。普通に読んでて面白いんですよね。

 

「こんな人がいるんだな〜」って透けて見えるくらいのやつがいいんだな、って改めて認識出来ました。僕が直された作文は明らかに大人の手が入ってた。あれは本当に良くない。

 

また、入賞してしまったテーマとあえて同じテーマを選び、何パターンか書いた作文を親に見せ、どの表現が1番伝わりやすいかをフィードバックしてもらうこともしました。

本来は学校でこれやって欲しかったのに。仕事しながらこんなことしてくれた親には感謝しています。今はこんなんなっちゃってるけど。

 

さて、そんなこんなを数ヶ月繰り返し、これだ!!というものを作り上げ、同じコンクールに1年越しで提出したわけです。

 

なんか結構後半の方は怒りとかどーでも良くなって、普通に楽しくなってましたね。喉元過ぎれば熱さを忘れるとはよく言ったものです。

 

何パターンも作文を書いたおかげで、意味を変えずに言い方を変えるような力がついたのも今考えればだいぶありがたいですね。

 

結局この時の燃えるような怒りが創作意欲に繋がったのかなあと思うと、未だにあの先生を許してはいないんですが、まあ一部感謝してやらんこともないと思ったりはします。 

 

自分が書いたものに対して、自分できっちりとプライドを持てるということは意外と大切なのかな〜と今になると感じますね。

 

作文の方はキッチリと県で賞を頂きまして、我が家は「アレはやっぱり直されたから地区止まりだったんだね」と無事気持ちよくなることが出来ました。

 

なんだかスカッとジャパンみたいですね。見たことないけれども。

 

おわりに

「これが自分の文章!!」というこだわり、文を書く上でめちゃくちゃ大事なんじゃないかなあ、というお話でございました。

 

割と今思い出しても腹が立つ話なので、なんとも読みにくい文章になっていたら申し訳ないのですが、この未だに消えない醜い怒りもまた僕の感情でございます。

 

こんな落書きのようなものでも、一生懸命書くことで誰かに刺さってくれたらと思うのでした。

 

それではまた。