モラトリアムにさよならを

人生色々あるけれど、それでも生きてるよ。そんな人間の日記です。

躁鬱の経緯とか、今とか。

すぴかといいます。

自己紹介を除くと記念すべき一回目の記事。明るい話題がよくね?とかなんとかいろいろと考えたのですが、メインテーマにもなってくるだろうし、俺が躁鬱になった経緯の話をしようと思います。

暗い話だなあと思うので、皆様の体調に合わせて読んでいただけたらと思います。

 

 

 

そもそもの経緯

この辺を詳しく言いすぎるとこれはこれで別の記事が書けてしまうのでここではざっくり話させてもらうんですが、端的に言うと受験に失敗して希望とは全然違う大学に行ったことと、それに伴う両親の自分に対する接し方の変化が根源にあるなあ…と感じます。

 

僕自身も脆かったんでしょうね。ビビりな性格のせいもあり、幸か不幸か大きな挫折をしてこなかった人間には、受験失敗というでかいストレスを処理するのにめちゃくちゃ時間が必要だったんだと思います。

それに加えて、両親との関係が変わってしまったことが多分とどめになった形です。

 

なーーんで俺はこんな誰からも応援もされず自分もやりたくない、お手軽な地獄とでもいうような感じの環境にいなきゃならんのだ?受験失敗がそんなに悪いことか?なんて思うようになってしまい、酒に逃げてみたり、プラプラと遊び歩くことが増えました。

こうなると人間はだんだんバランスが崩れていくもので、自分の中に大きな感情の波が生まれるようになりました。

 

あれだけやりたくないと思っていた大学の勉強を2徹くらいしてやってみたかと思えば、その後は3日くらいほぼ起き上がれなくなったり。本当に同じ人間か?と思うような行動が増えました。映画7本くらい一気見したようなこととか、気づいたらゲーム36時間やってたとかもあったかな?

元気な時の発言を掘り返されて「そんなこと言ったか…?」なんてのはザラです。

これに加えて、いろいろな感情の逃げ道だった酒のせいで半ばアル中みたいにもなってた時期すらある気がします。

 

何をどう考えても普通ではない状態なんですけど、ここから数年病院に行くことは考えたこともありませんでした。多分もうそういうもんだと思っちゃってたんですよね。そういう気質の人間だぞと。

今考えると恐ろしいもんで、こんな感じのまま数年過ごしてました。

 

診断をうけたよ

そんな生活を続けながら迎えた2023年。明らかに不調の波が増えてきたのを感じました。1週間くらい起き上がれない。急に涙が止まらなくなる。死にたいと何度も思うけど、もうその気力すら残ってない、みたいな。

 

しかも全然メンタルと関係ない他の病気が見つかったりもして、なんでこんな思いをしなきゃいけない…?と、どんどん悪い沼にはまって抜け出せなくなりました。

 

ここまで来て初めて、自分の今の状態は病気かもしれない…という考えが浮かぶようになり、病院に行く決断をしました。

助けてほしかったし、話だけでも聞いてほしいという気持ちで病院に通いました。

 

その後、「躁鬱という病気だから、一緒に治療していきましょうね」というようなことをお医者さんに言っていただいたときは、成人男性ってこんなに泣けるんだ…ってくらい泣きました。

何よりも病気だったことに安心したのを覚えています。自分のこの辛さが病気で、治していけるものなのだということがうれしかったし、「一緒に」という言葉もありがたかった。

 

2023年の8月くらいだったと思います。

双極性障害」と診断されるとともに、自分にとってほんの少し前に進むきっかけになった出来事でした。

 

いま

薬を減らしたり増やしたり変えたりしながら、そこそこ元気に過ごしています。

睡眠障害やら大きめの鬱やらはまだあるけれど、躁が(当社比で)落ち着いたのは大きいかな。エネルギーがありすぎた衝動で人に迷惑をかけたりするようなことはなくなったのがよかった。

寛解!とまではまだ言えないけど、俺が今日も元気で、こうしてブログを書いて生きている。これだけで偉いじゃない。と自分に対して思える程度には回復しました。

 

1発目から暗い話で申し訳なかった…

こんな話ですが、皆様の何かになれば幸いです。

それではまた。